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2009年8月17日

写真トーレさんちのテレビルームのキャビネット。東西問わず、自分の目にかなった骨董の数々が品よく並ぶ

 写真築100年を超える教会を買い取って自分で改装。村人に開放している私設ホール

 写真古い民家がそのまま伝統的保存地区として現役で維持されている小さな村、テルベリー。もっともスウェーデンらしい村と言われている

 写真小4娘、サマーハウスの庭でディナーの用意中

写真食卓の向こうはシリアン湖。見渡す限り森と湖だけの家で、自炊。サーモンを焼くだけで立派なごちそうに

 スウェーデンの旅の後半は、ストックホルムから北に電車で3時間半のダーナラ地方で過ごした。

 ダーナラは「スウェーデンの心のふるさと」と呼ばれ、昔ながらの工法で建てられた築100年を越す木造家屋や伝統行事が残る希少なエリアである。全長130キロの広大なシリアン湖を中心に、ほとんどが森におおわれている。まさに森と湖の国の象徴のような場所で、緑と緑の間に、レクサンド市やモーラ市など小さいながらも個性的な市が点在している。サマーハウスや別荘が多く、アンデルセンやリンド・グレーンが逗留して数々の作品を書き上げたことでも知られている。今も、シリアン湖ほとりでは、絵画、小説、陶芸、木工、織り、染めなどたくさんのアーティストがサマーハウスをアトリエがわりに精力的に創作活動をしている。文化芸術の支援も厚く、夏はそこかしこで野外コンサート、演劇、作品の展示会が繰り広げられる。

 私たち家族は、最初の3日間は、レクサンド市のB&Bに宿泊。道に慣れてきた頃、レンタカーと少し離れたロンネス村のサマーハウスを借りて、完全に自炊生活に。

 サマーハウスは、トーレさんという人の持ち物で、知人を通して借りることができた。近所に住むトーレさんのご自宅に鍵を借りに行くと、彼は「さあさあどうぞ」と家にまねき入れてくれた。

 中に入ると、リビングで奥さんが手づくりのクッキーを焼いて待っていてくれた。トーレさんは、有名な左官職人で、伝統的な工法による家の塗装で彼の右に出る人はいないという。塗装の大きな会社を持っていて、持ち家は全部で5軒。そのなかのひとつ、ストックホルムで医師をしている娘さん夫婦のサマーハウスを今回は貸してくださったのである。

 夫人と悠々自適の生活を送る彼は、サンタクロースがいたらきっとこんなおじさんに違いないというような穏やかで優しい人だった。信号一つないロンネス村の丘の途中に建つ彼の家は、アンティークの宝庫。日本の仏像や李朝(朝鮮王朝)だんす、あるいは世界に二つで、もうひとつは博物館にあるというような柱時計や骨董(こっとう)品が感じよくディスプレーされている。

 ひとつひとつオークションなどで手に入れたのだと説明してくれた。家は8畳ほどのダイニング、テレビルーム、ゲストルーム、ベッドルームと意外にこぢんまりとしていて、それら一流の骨董品もさりげなく置かれていて少しも嫌みがない。しかしよく見ると、ドアノブやキッチンの調味料入れひとつまで、芸術的に美しい細部までこだわったデザインで、どれをみてもため息が漏れる。ダーナラらしい赤い屋根に木造の小ぶりな家で、とてもこのなかに博物館級の骨董品があるとは想像できないのだが、北欧の本当の趣味人というのはこういうさりげない暮らし方をするんだなと感じ入った。

 ある日、トーレさんは私たちの家まで散歩に来て、「よかったら明日の晩、もう一軒の家に遊びに来ないか」と誘ってくださった。それもすぐ近くだという。なかなか、地元住民の自宅を見る機会はないので、二つ返事で伺うと、そこには古い教会風の建物があった。

 「これが家?」と首をかしげながら扉を開けると、まさに本物の教会だったという。朽ちかけたそれを買い取り、村の人たちがいつでも使えるように開放しているとのこと。村人は、この地に古くから伝わるレース編みや手工芸をしたり、トーレさんがオペラ歌手を招いてミニコンサートを開いたりしているのだという。布教のために建てられた、村で一番古い教会が朽ち果てていくのが耐えられず、買い取ったあと、自分で昔通りの工法で何年もかけて復元。趣味の骨董のカップやソファ、テーブル、ピアノなどをひとつひとつそろえていった。トーレさんは、この教会のことが地元の新聞に載ったんだよと、小さな記事をうれしそうに見せてくれた。その横で、夫人のマイさんが「よかったらこのニット帽をかぶってみない?」と、村の婦人会の人たちが編んだ帽子を息子や娘に手渡している。

 私は、あっけにとられてしばらくぼうぜんとしていた。これは、個人の域を超えた立派な建築保存活動だ。トーレさんは、そこでお金を取ってもうけたり、ビジネスにしようなどという気持ちはみじんもない。ただ、自分が左官の仕事で財をなすことができたので、利益を育った村に還元したい。村の役に立つことをしたいという一心でこうした。「大工仕事は子どものときから好きだったから、できる範囲でできることをしただけ」と言い、成功者や村の重鎮にありがちな気負いが一切ない。

 淡々とした風情に、日本人にはない老後の過ごし方、利益の還元のしかたを感じた。旅人が来ればここへ案内し、教会や村の歴史を話し、何年か前にここで出会った日本人同士はなんと結婚したらしい。夫婦は、子どもにトーレさんの名前をつけたという。うれしそうに、トーレさんはその新郎の名刺を見せてくれた。新郎の独身時代、16年前に初めてロンネスへ来たときに渡されたものだそうで、茶色に変色していた。なによりも、人と人のつながりを大切にする、情の深ささがその紙片から伝わってきた。

 たとえば、私がもっと英語ができたなら(スウェーデンの人は英語が堪能だ)信じるものはなんですかと、そんな質問をしてみたかった。家族、絆、心。きっとそんな答えが返ってきたに違いない。

 最終日、鍵を返しに行くと、ハグをしながら「あなた方のことは忘れませんよ」と言われた。娘や息子にくれたニット帽(教会の婦人会で作られた商品だったので)のお金をどうしても払いたいというと、「では婦人会のためにいただきましょう」と10クローネだけ受け取ってくれた。

 私が逆の立場で、見ず知らずの客にここまで親切にすることができるだろうか。残念ながら自分には、そんな心の余裕はない。本当の余裕とは、こういうことを言うんだろうと思った。たとえば、他人に温かく心を開く余裕。自分で独占するのではなく社会のためにお金を使う余裕。自然や環境だけをゆたかというのではない。個人でこれだけのことをやってしまうスウェーデン人の本当のゆたかさ、価値観の違いを見せつけられた気がした。

 どの国も不況で、北欧のそれも深刻だが、なにかとてもまねできない別の価値観でかの国の人々は生きていて、私たちと彼らと目指す幸福の精度や尺度、質みたいなものが全然違うのだろうなあと思えてくる。

 ストックホルムの都会では得られないものをたくさんもらって、私たちは幸福な思いでダーナラをあとにした。今、スウェーデンときくと真っ先に思い浮かぶのは、深緑の森と木漏れ日、トーレさん夫妻の別れ際の笑顔である。

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