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2008年02月01日

「鬼も十八、番茶も出花」



鬼おろしの歯の部分


鬼すだれ


茶畑


ミャンマーの緑茶


ミャンマーの緑茶の葉はウーロン茶のような感じに見える


ほうじ茶のアイスクリーム



お茶と桜海老のかき揚 レシピはこちらから

 醜い鬼も年頃になればそれなりに美しく見え、粗末な番茶も湯をついで出したばかりは香りがよい、という意味から、醜い者も、年頃にはそれ相応に美しく見えることのたとえ。単に「鬼も十八」ともいい、年頃になれば人の世の情けを解するようになるものだという意味もある。現在は女性にいうが、古くは男女どちらにも使われた。他に、「鬼も十七、茨(いばら)も花」(「茨も花」は、とげのある茨も時期がきて花をつければ美しいの意)や「鬼も十七、山茶(やまちゃ)も煮端(にばな)」(「山茶」は山に自生する粗末な茶で番茶として煮出して飲んだりする。「煮端」は「出花」と同意で出したての意味)といういい方もある。どれも、見方を変えれば、タイミングや時期が大切であると考えることも出来そうである。

 我が校はもう少しで創立50年になる。卒業して10年以上経ち、料理店のオーナーや料理長となった卒業生たちが、在校生のために特別授業をしに来てくれることがあるのだが、彼らは口をそろえて「先生は、今は性格も体も丸くなられましたが、昔は『鬼の小谷』と呼ばれて生徒から恐れられていましたよね。」という。思い起こせば30代の頃は、先陣を切って生徒指導に全力をつくしていた。しかし、あんなに頑張っていながら「鬼」と呼ばれていたとは、いささか不本意な話ではある。

 私のあだ名になった「鬼」は、「鬼のような性格や外見」といったところだろうが、日本料理の料理名や調理器具、素材にも「鬼」と名がつくものがある。伊勢海老の鬼殻焼き、魚の鬼おこぜなどだ。これらは概して、見た目にごつごつしていたり大きな突起があったりするところから、「鬼」とつけられたのではないだろうか。

・鬼殻焼き・・・伊勢海老、車海老などを殻つきのまま照り焼きにした料理。

・鬼おろし・・・おろし器の一種で、竹製の目の粗いおろし器。おろすというより削る感じに仕上がる。素材の繊維をきらずにおろすことが出来るので繊維質たっぷりの粗めのおろしができる。

・鬼すだれ・・・巻きすの一種で、竹を三角形に削って、厚焼き卵などに波紋の模様をつけるもの。

・鬼おこぜ・・・カサゴ科の海魚。体長約20cm。奇妙な形で鬼を思わせるところからの名称。口の先は上方を向く。背びれにあるとげは堅く、毒腺があるので刺されると激痛をおぼえる。

・鬼くるみ・・・くるみの一種。果実は直径約3cmの球形。密に毛におおわれ、殻には深いしわがあり非常に堅い。

 さて、一方のお茶だが、これは日本料理とは切り離せないものである。特にすし店ではお茶にこだわっている店が多い。急須に入れた茶葉に湯をかけて上澄みを飲む煎茶や玉露などの淹茶(えんちゃ)のための茶ができたのは、江戸時代中期のことだが、この頃に時を同じくして「早すし」系のすしが誕生し、双方ともが庶民に普及していったという歴史もある。

 現在飲まれている茶には、大まかに玉露、煎茶、抹茶、番茶がある。煎茶は、さらに荒茶、仕上げ茶、芽茶、茎茶、粉茶などに区分けされている。

 お茶は普通は食事の後に楽しむものだが、すしの場合は食べている時にお茶を必要とする。すしとお茶は相性が良く、お茶を飲むことは、すしを美味しく食べることにもつながる。すしを食べると口の中に魚の臭みや脂っこさが残るが、お茶はそれを洗い流し、次のタネをまた新たに味わえるように口中を整えてくれる。一種の口直しの役目を果たしている。だから、すし屋では、最初から熱いたっぷりのお茶を供するのが慣習となっている。

 さて、おおかたのすし屋では粉茶を用いる。味にうるさい店では粉茶を独自にブレンドしていたりする。なぜすし屋では粉茶が使われるのかというと、一般的な煎茶の半額ですむという経済性、入れ方が簡単で、上手、下手を問われない(コクのないあっさりとしたお茶だから、濃く入れすぎても渋味、苦味をあまり感じない)ことなどが挙げられる。

 しかし、ただ粉茶が最適とは決めつけずに、考えるべきところはある。粉茶を入れるには、一般には、茶こしにティースプーンに2~3杯の粉茶を入れ、湯飲みで受け、上から熱湯を注ぐ方法をとられているが、お茶を美味しく入れる観点に立つと問題がある。理由は、 

(1)お茶の旨味が充分出ない。

お茶は湯に浸して初めて蒸され、徐々に湯になじんで潤い、茶葉に含まれる旨味の成分が浸出してくるので、上から湯をかけただけでは粉茶といえども旨味は充分に出ない。

(2)お客に芳醇な香りが届かない。

茶は香りも楽しむものなので、香りが届かないと味が半減してしまう。お茶は熱湯をかけている時と、かけ終わった瞬間に一番香気が立つ。茶こしでお茶を入れると、入れる人は香気を満喫できるが、提供した頃には香りは散じて、ただの色つきの湯となる。解決策は、急須というふたつき茶器で入れること。これならお茶の旨味も充分抽出でき、急須の中に香りを閉じ込められ、すぐに運べば香りの良いお茶を提供できる。

(3)お茶の濃さがまちまちになってしまう。

粉茶の場合は、二煎を限度とするが、一煎目は濃くて美味しくても、二煎目は香り、味が希薄になる。解決策は、急須を2つ用意する。ひとつに粉茶を人数分(1人当たりテーブルスプーン1杯強。強というのは旨味を出すためで、1人分の時は2杯)入れ、熱湯を注いでそのまま少しおく。湯の中に舞い散った粉茶が落ち着いた頃を見計らい、もうひとつの空の急須に注ぎ替える。この時は必ず茶こしで受けること。客が多い時は、これに二煎目を足していく。こうすれば茶の湯の濃さが平均化され、公平に美味しいお茶が味わえる。もちろん旨味も充分出るし、香りも楽しめる。

 さらに、お茶を入れるには水にも配慮が必要である。美味しいお茶を入れるには浄水器を通した水を使いたい。水道水に含まれる塩素は、お茶が持つ豊富なビタミンC(レモンの4倍)を破壊してしまう。浄水器がないなら、必ず3~4分間煮沸させる。こうすればとりあえず塩素臭は取り除ける。

 絶対にしてはならないのは、魔法瓶に入れおきしたお茶を出すことだ。色が悪くなるだけでなく、お茶が発酵してしまう。いくら忙しくても、お茶はそのつど入れるものである。

 一般にすし屋のお茶はくせのないものがよいとされる。その観点からみれば、甘味のある上等な玉露よりは、渋味のある煎茶や香りの良いほうじ茶や番茶のほうが合うといえる。また、すしを食べる時のお茶は熱いほうが良いことは確かで、ぬるいと口中がさっぱりせず、生臭みが残る。その意味でも玉露は不向きであるが、玉露も時として熱湯で出すこともあるので、一概に決めつけられない。おいしい上等なお茶を入れるに越したことはないが、その場合でもあっさり入れることである。従来お茶に関していわれてきたことにとらわれず、自分の舌で試し、自分に合うお茶を見つけて、美味しい入れ方を工夫するのが一番良い。

 たとえば、ワインを肉料理、魚料理で赤、白と使い分けるように、すしでもタネによってお茶を使い分けてはどうだろうか。

  白身・貝類 → あまり濃いお茶でなく、さっと入れた小碗の高級緑茶

  赤身・背の青い魚 → 濃いめのお茶

  煮物、焼物 → 薄目に出した焙じ茶

 もっとも、すしはあれこれ種類を食べるので、そのつどお茶を入れ替えるのはお客にとってもせわしなく、非現実的である。だが、おなじみさんに一定の好みがある場合は、こうした考慮があっても良いと思う。

 すし屋に限らずどこの料理店でも、最初に出されるお茶の質と香味で、その料理店の質や店の格が想像できるものである。すし屋で最初に出されるお茶を「出花」、終わりに出すお茶を「上がり」というが、これらへの配慮はもっとなされて良いと思う。夏の暑い時の「出花」には、蒸しの深い緑色で清涼感のある煎茶か玉露をティー・オン・ザ・ロックにしてグラスで一煎出したりすれば喜ばれる。冷茶は食欲をそそることにもつながる。最後の「上がり」は口中の生臭みを消す意味で、濃い焙じ茶か玄米茶、あるいは客の好みで上質のウーロン茶などを出せば店の株も上がるだろう。

 タイ人料理人の巡回指導でミャンマーに行った時、大使公邸で美味しいほうじ茶をご馳走になった。大使夫人にお伺いすると、「現地産の緑茶を公邸で焙じてほうじ茶に加工して、お出ししている」とのことである。そこで、このほうじ茶を利用して作った「ほうじ茶アイスクリーム」を設宴のデザートとしてお出ししたところ、大使夫人から「現地の方々にも大好評で、ぜひ、料理人に指導してください。」とお褒めいただいた。なんでもないことながら、他のどこでもやっていない「こだわり」、さりげない工夫と発想、そんなことがお客を顧客にする最後の武器になることを忘れないでほしい。

 仕事に疲れた時や、精神的に疲れた時には、一服の熱いお茶をいただくことで、心身ともにリラックスできる。昨今はさまざまな嗜好飲料が手に入るが、我々日本人にとっては、お茶こそ疲れたときの特効薬ともいえるのではないであろうか。
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