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2009年8月4日                                         筆者 京橋玉次郎

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玄妙なソース

 

ここは焼き魚、煮魚、刺身などのランチを日替わりで出す。今回も魚を目指しての訪問だったが、この日はアジフライとコロッケ。やや思いがけない展開に戸惑う。主人によれば「1年中魚では芸がない、フライデーはフライとしてみました」。語呂合わせの洒落だという。洒落になっているかどうかは若干の疑義は残るが、その遊び心は悪くない。

熱々ではあるがアジフライとコロッケ各1個は、ボリューム的にやや物足りない向きがあるかもしれない。しかし、どんぶりのような器で出てくるソースが旨い。本来和食にソースという組み合わせはすわりが悪い。もともとは賄いに使っていたソースを、種々工夫しているうち納得のゆくものができたので店に出したという。現在はトマトやたまねぎなどを含め計12種の食材、スパイスで作りこんである。

 

江戸町人の心意気

 

 店の始まりは嘉永3年(1850年)、12代将軍の代。仕事振りが評判となり江戸城の御用を努めた。万延元年(1860年)3月3日のこと、二代目と三代目が食材を入れた御膳籠を担いで登城途中、浪士に行く手をさえぎられた。桜田門外の変だ。一行は事件の一部始終を目撃したという。

 慶喜の駿府隠棲に殉じ、板場を預かっていた3代目に暖簾を譲り、初代と2代目は駿河に移った。将軍と共に駿府に落ちるかどうか迷った御家人、旗本の多かった中で、繁盛する店を捨てて同行した江戸町人の心意気をしのばせるエピソードでもある。もう一つの維新史をみるようだ。以来、今の加藤一男氏が八代目に当たる。駿河に移った初代、2代目は慶喜の台所を預かったのだろうが、その後どうなったかは聞かない。

 

今生きる有り難さ

 

 日本橋の店は山形有朋や伊藤博文などの明治の元勲らにひいきにされ、あるいは久保田万太郎や獅子文六などの文士も良く店にあがったという。売れる前の永井荷風など「早く嶋村で昼飯が食えるようになりたい」と日記に書いているそうだ。ただ私はまだそれを読んでいない。

 荷風や文六の如き才無く、有朋や博文の富貴権門に程遠い身が、こうして同じ店でお気楽に昼飯を食せる今の世の有り難さを思う。洒落た楊枝入れを眺めつつ、そんなとりとめのないことをぼんやり考えながら昼飯を食した。

 

気軽に老舗の味

 

 東京駅から数分、いわば駅前のようなところだが、この界隈はひとたび通りや路地に入ると、かつての日本橋呉服町という地名が語る如く、味わい深い店が散在する。もちろん昨今流行りの少しちゃらちゃらした飲食店もある。それらが渾然と歴史の重層を感じさせながら存在する。お気に入りの地域の一つだ。

現在の店は昭和52年にビルとして新築された。建物等には昔を語るものはないが、日替わりランチで伝統の片鱗をしのんでみる。1階はカウンター7人、テーブル10人とこじんまりしているが2階、3階は座敷となっていている。昼飯は定食が1600円程度から、会席が4200円からとなっており、予約すれば座敷でゆっくり老舗割烹の技と味を楽しめる。

 

【お店データ】

割烹・嶋村

東京都中央区八重洲1-8-6〈地図〉 03-3271-9963

営業:〔平日〕午前11時30分~午後2時、午後4時30分~午後10時 〔土曜〕午前11時30分~午後2時、午後4時30分~午後9時30分 日祝休み

<本日食したランチ>

日替わり 900円

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