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2008年01月21日

 1年ぶりにパリに来た。だれかに連日会っている。夕飯は午後8時ごろ始まり、日付が変わっても続く。眠そうな顔をしていようとお構いなし。うれしいがへとへとになる。泊めてもらった知人宅から、1人になろうとホテルに移った。歩いて探したカルチェ・ラタンの宿はいかにもフランスらしい。旅行パンフに載っているような猫足の椅子や花柄ベッドカバーがあるプチホテル…なわけがない。7階の屋根裏部屋までエレベーターはなく床は傾き、古いカギの開け閉めに手こずり、シャワーは共同で1泊55ユーロ(9000円)もする。これぞパリでしょう。



もらったイタリアのお菓子。まだ開封せず


泊まったパンテオン近くの安宿

 イタリア人Pに会うつもりはなかった。友人のそのまた友人で、1度会ったことがあるだけだし予定も埋まっている。ずいぶん前に渡仏することを伝えていたら、パリ入り2日前に返事があった。フランス東部に住む彼もちょうど仕事でパリに行くという。彼が指定した水曜夜はもう約束があった。伝えると「じゃあその約束が終わった後で会おう。チカコと同じところに泊まれば会いやすい。宿の名前を教えて」。そう来たか。彼と縁が切れるのはいいが、友人と気まずくなりたくない。宿を教え「木曜午後10時に会いましょう」とメールした。なのに「今夜も会おう」と携帯メールが入っていた。返信しないでいると携帯電話にかかってきた。「予定がある」と言っても「その後でいい」。どうしてこうなるの。

 宿に午後9時ごろ戻った。フロントのお姉さんに呼び止められた。「あなたの友人という人、まだ来ないけど、電話であなたの部屋番号を聞かれたわ。一緒の部屋に泊まるつもりなんじゃないの?」。あわてて首を横に往復3回振った。彼と愛はない、部屋番号は言わないで。彼女に念を押した。深夜になって部屋の電話が2度鳴った。彼に頼まれてお姉さんがかけてきたのだろう。出なかった。携帯も鳴ったが電源を切った。布団をかぶる。なんで逃げ隠れしなきゃいけないの…。私なんぞ相手にせずともよかろうに、セニョール。

 お姉さんに翌朝「彼が来て何度も部屋番号を聞かれたわ。答えなかったけれど本当によかったの?私、気になって眠れなかったわよ」と言われた。彼女を困らせて申し訳ない。手紙を託すことにした。「チャオ、P、ひょっとして昨晩、連絡くれましたか。ごめんなさい、携帯電話は昨日午後に盗まれてしまい、昨夜はぐっすり眠ってしまった。今晩も私は遅くなる」。

 昼過ぎにうっかり部屋の電話に出た。彼からだった。会おうと言われ「何時に戻れるか分からない」と答えた。でもあきらめてくれない。しつこく聞くので部屋は34号室だと伝え、夜に友人アンヌに会いに出かけた。「イタリア人はちょっとショー(熱い)だからね、気をつけてね」。夜に部屋に戻るとドアが4回ノックされ、部屋の電話もジャンジャン鳴る。ああ、もう。ウソの言い訳も思いつかない。彼の部屋まで下りて行った。

 「やあ、チカコ、久しぶり。どうぞ入って」。だーれが入るもんか。近くのカフェで3時間ほどしゃべった。さんざんユーロが強すぎると言ったせいか「私のかわいそうなジャポネーズにおごるよ」と、4ユーロ(640円)のオレンジジュースをおごってくれた。なんかくやしい。カフェを出る。あれ、腰に手を回してきた。ち、ちょっと待て。早足になりながら考える。別れ際にほおを右、左と交互に寄せるビズはへっちゃらなのに、腰に手はダメなのは何でだろう。ま、もったいつけるほど上等なものでもない。オレンジジュースのお礼にこれぐらいサービスしとくか…。

 彼はイタリアのお菓子をあげるから部屋に入れと言う。ノン、ここでいいです。ドアの前で青い袋入りのお菓子を差し出された。「グラッツェ、なんてきれいなアズール(青)なの」と言ってひったくり、ビズして7階に駆け上がった。ぜいぜい。

 いったいどうすれば分かってくれたんだろう。在仏11年になるエリサさんに尋ねた。「私はあなたに興味がない」「あなたは私をいら立たせている」ぐらい言わないとダメらしい。そうだった。全身でノンメルシー光線を発したって無駄だった。フランス留学中は容赦なくビシッと言っていたはずなのに。ちょっとぐらい空気を読んでよ、と思うのは日本に戻っちゃったせいなんだろうな。
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    rjivoe 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()