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2009年7月12日1時2分                                              ソーシャルブックマーク

写真:夏目漱石が描いたとみられる熊本市内の旧居の絵夏目漱石が描いたとみられる熊本市内の旧居の絵

 

写真:絵に描かれたとみられる「夏目漱石内坪井旧居」の現在の様子=熊本市内坪井町、熊本市文化財課提供絵に描かれたとみられる「夏目漱石内坪井旧居」の現在の様子=熊本市内坪井町、熊本市文化財課提供

 文豪・夏目漱石が熊本市内の居宅を描いたとみられる水彩画1枚が見つかった。京都府の個人が所蔵していた。岡山市北区の財団法人「吉備路文学館」が発表し、8月1日から同館で始まる「夏目漱石と2人の愛弟子~湯浅廉孫(れんそん)と内田百けん(門がまえに月)」展で公開される。

 絵は縦17センチ、横25センチ。漱石が熊本で住んだ6軒のうち最も長く暮らし、気に入っていた熊本市内坪井町の家の一室とみられる。床の間の前に置かれた文机や、山積みにされた本、縁側の先の庭の木々などが描写され、保存状態は良く、庭の緑も鮮やかだ。

 漱石は旧制五高(現熊本大)の英語講師として1896(明治29)年春から約4年間、熊本で生活。五高時代の教え子で岡山出身の漢学者・湯浅廉孫も書生として住み込んでいた。廉孫の子孫によると、絵は廉孫が漱石に譲渡を頼み、1904(明治37)年から21(大正10)年の間に譲り受けたものらしい。

 署名など作者を示すものはないが、漱石は多くの弟子に絵手紙を送るなど絵心にあふれていたことが知られている。吉備路文学館の熊代正英副館長は「廉孫の長男が、廉孫自身から『漱石の絵』と聞いており、漱石が描いたと考えて間違いないと思う」と話している。

 漱石に詳しい元熊本大教授で草枕交流館(熊本県玉名市)の中村青史(せいし)館長は、絵左下の和綴(と)じ本の山に注目。「英文学者の漱石が読む本は洋本が中心だったが、当時は熊本の古書店で和本を買っていたことがわかっている。漱石らしい人物が机の前に描かれていないので、漱石本人が描いた可能性は高い」と推測している。

 漱石が住んだ家は現在、「夏目漱石内坪井旧居」として一般公開されている。(八尋紀子)

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